なんかいろいろ。
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
色々と騒がしかった選挙ではありますが、北海道5区というのは実のところ僕の地元で、今一時的に戻ってきているわけですが、かつてこれほどまでに有名人がうちの地元に来たことがあっただろうか。
思い出せる限り、次に有名なのはサンピアザ(駅ビル的なショッピングセンター)でライブやった水木一郎くらい。大泉洋はホワイトストーンズなので厚別区には来れません。
ちなみに旧社会党王国といわれる我が北海道ですが、僕の通っていた小~中学校では、先生が良かったのか、はたまた歴史が浅い町だった故か、いわゆる左巻きな教育は行われていなかったように思います。
でも君が代は結局高校まで歌わなかったなあ。昔の僕は音楽の教科書のあのページを「あとがき」みたいなものだと捉えていて、あるけど何も触れないのが当然だと思っていましたよ。
まあネタとしては面白くないですね。申し訳ありません。ガラスが一枚割れたら全校集会になるような平和な学校でした。歌でネタになるようなことといったら、音楽の実技テストで好きなパート歌っていいよと言われたので大地讃頌のソプラノ歌ったら5が付いたことくらいでしょうか。今はアルトも無理です。
まあなんだ、あの頃は僕も調子に乗っていて、自分は結構大した人間だなんて密かに思っていたのですが、それから十数年、当たり前ですがそんなことはなく、まったくの凡人、どこにでもいる十把ひとからげ、普通の人でありました。確かにオンリーワンではあるかもしれませんが、希少であっても希少価値がなければ何の意味もないのです。
ただ別にそれは悲観するようなことでもなくて、凡人なら凡人なりに、能才の人とはまた違ったものを見ることが出来ます。
ある出来事を成し遂げるのを、例えばA地点からB地点に移動することに例えると、凄い人というのは新幹線や飛行機なんかであっという間に行ってしまうのかもしれません。僕は歩きか、せいぜいチャリとか。当然効率はものすごく悪いですし、ようやっと到着した頃には相手はさらに遠くへ行ってしまっているかもしれません。
ですが、歩きというのは、好きなときに立ち止まって一休みしたり、辺りを見回して面白そうなものがあったらわき道にそれてみたりできます。飛行機では出来ません。
手間も暇も金も余計にかかりますが、最終的な満足度で言ったら、やあ、色々あったけど中々楽しかったよと言えるのはどちらなのだろうかな、とか。
いや負け惜しみじゃないですから。ほんと負け惜しみじゃないですから。
まあこれは、僕が究極的には自分さえ満足できればいいという独りよがりな考えの持ち主だから言えるのかもしれませんが。付き合わされる周囲の人たちはたまったものじゃないでしょうし。
でも、生きていると世の中色々と悲観したくなることばかりですけど、少し考え方を変えてみれば、そんなに悪くもないんじゃないかなと思えるようなことって、それなりにあるんじゃないでしょうか。
尊敬する先輩の言葉ですが、「はげて太ったおじさんというのはみっともないものだけど、はげて太ったおじいさんになると、貫禄があってなかなかいい。そう考えると、年を取るというのも悪いことばかりじゃない」。正確には少し違ったかもしれませんが、まあ大体こんな意味でした。
このブログでも何度か言っていますが、悲観的なことを言うのは楽なんですよね。外れても責任を取らなくていいから。僕はこれからも、物事はなるべく楽観的に考えていこうと思います。そうしないと死にたくなるからね! 元々すんごく暗い人間だから! 無理にでも作っていかないとね!
そんな僕ですが、いわゆる自己啓発本の類は大嫌いです。前向きに努力して生きろってことしか言わねえんだあいつら。
思い出せる限り、次に有名なのはサンピアザ(駅ビル的なショッピングセンター)でライブやった水木一郎くらい。大泉洋はホワイトストーンズなので厚別区には来れません。
ちなみに旧社会党王国といわれる我が北海道ですが、僕の通っていた小~中学校では、先生が良かったのか、はたまた歴史が浅い町だった故か、いわゆる左巻きな教育は行われていなかったように思います。
でも君が代は結局高校まで歌わなかったなあ。昔の僕は音楽の教科書のあのページを「あとがき」みたいなものだと捉えていて、あるけど何も触れないのが当然だと思っていましたよ。
まあネタとしては面白くないですね。申し訳ありません。ガラスが一枚割れたら全校集会になるような平和な学校でした。歌でネタになるようなことといったら、音楽の実技テストで好きなパート歌っていいよと言われたので大地讃頌のソプラノ歌ったら5が付いたことくらいでしょうか。今はアルトも無理です。
まあなんだ、あの頃は僕も調子に乗っていて、自分は結構大した人間だなんて密かに思っていたのですが、それから十数年、当たり前ですがそんなことはなく、まったくの凡人、どこにでもいる十把ひとからげ、普通の人でありました。確かにオンリーワンではあるかもしれませんが、希少であっても希少価値がなければ何の意味もないのです。
ただ別にそれは悲観するようなことでもなくて、凡人なら凡人なりに、能才の人とはまた違ったものを見ることが出来ます。
ある出来事を成し遂げるのを、例えばA地点からB地点に移動することに例えると、凄い人というのは新幹線や飛行機なんかであっという間に行ってしまうのかもしれません。僕は歩きか、せいぜいチャリとか。当然効率はものすごく悪いですし、ようやっと到着した頃には相手はさらに遠くへ行ってしまっているかもしれません。
ですが、歩きというのは、好きなときに立ち止まって一休みしたり、辺りを見回して面白そうなものがあったらわき道にそれてみたりできます。飛行機では出来ません。
手間も暇も金も余計にかかりますが、最終的な満足度で言ったら、やあ、色々あったけど中々楽しかったよと言えるのはどちらなのだろうかな、とか。
いや負け惜しみじゃないですから。ほんと負け惜しみじゃないですから。
まあこれは、僕が究極的には自分さえ満足できればいいという独りよがりな考えの持ち主だから言えるのかもしれませんが。付き合わされる周囲の人たちはたまったものじゃないでしょうし。
でも、生きていると世の中色々と悲観したくなることばかりですけど、少し考え方を変えてみれば、そんなに悪くもないんじゃないかなと思えるようなことって、それなりにあるんじゃないでしょうか。
尊敬する先輩の言葉ですが、「はげて太ったおじさんというのはみっともないものだけど、はげて太ったおじいさんになると、貫禄があってなかなかいい。そう考えると、年を取るというのも悪いことばかりじゃない」。正確には少し違ったかもしれませんが、まあ大体こんな意味でした。
このブログでも何度か言っていますが、悲観的なことを言うのは楽なんですよね。外れても責任を取らなくていいから。僕はこれからも、物事はなるべく楽観的に考えていこうと思います。そうしないと死にたくなるからね! 元々すんごく暗い人間だから! 無理にでも作っていかないとね!
そんな僕ですが、いわゆる自己啓発本の類は大嫌いです。前向きに努力して生きろってことしか言わねえんだあいつら。
PR
この記事にコメントする
カレンダー
最新記事
ブログ内検索
リンク