なんかいろいろ。
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私には、「こんなカッコイイ生き方をしてえ!」という
敬意の対象である方が三人おりまして、
一人は学校で先輩だった人、一人は死んだじいちゃん、
そしてあと一人は神主です。いや神主には会ったことないんですが。
もう一人強いてあげるとするならタモリです。
さてどんなにじいちゃんがかっこよかろうと死は避けられないわけですが、
そこで葬式とかあの世とか言うものについて考えてみます。
葬式というのはなぜやるのかというと、それはもちろん
故人の冥福を祈るために行うわけです。
ところでそこに「私が死んでも葬式なんかしなくていい」
という人が出てくるわけですよ。
じゃあその人が死んだら葬式はしないのかというとまあしないのかもしれませんが
やっぱりどことなく後ろめたい気持ちを持ってしまうと思うのですね。
それはなぜなのかと考えてみるに、つまるところ葬式というのは
死者に対する儀式であると同時に生者に対する儀式でもあるからだと思います。
その人への思い出とか死の事実とか悲しみとかをそこで共有すると。
死んだらどうなるのかは、体験したこと無い私はもちろん分かりません。
あるいは無限に転生してるのかもしれませんが前世のことは覚えてないので分かりません。
ある人が死んだ後も幸せでいてほしいとか死んだ後は幸せでいてほしいとか
葬式や天国の成立には、そうした生者のエゴっぽいものが含まれているように思います。
うがった見方をすれば、そう思うことで悲劇に酔ってるとも言えますが。
ああ、今日こんなことを書く意味は特にないですよ。
強いて言うなら逃避です。
どうでもいいんですけど、全ての魂が輪廻転生しているんなら、
地球上の生命の数がどんどん増えていくことは
どう説明されるんでしょうか。分裂するのか、魂。
敬意の対象である方が三人おりまして、
一人は学校で先輩だった人、一人は死んだじいちゃん、
そしてあと一人は神主です。いや神主には会ったことないんですが。
もう一人強いてあげるとするならタモリです。
さてどんなにじいちゃんがかっこよかろうと死は避けられないわけですが、
そこで葬式とかあの世とか言うものについて考えてみます。
葬式というのはなぜやるのかというと、それはもちろん
故人の冥福を祈るために行うわけです。
ところでそこに「私が死んでも葬式なんかしなくていい」
という人が出てくるわけですよ。
じゃあその人が死んだら葬式はしないのかというとまあしないのかもしれませんが
やっぱりどことなく後ろめたい気持ちを持ってしまうと思うのですね。
それはなぜなのかと考えてみるに、つまるところ葬式というのは
死者に対する儀式であると同時に生者に対する儀式でもあるからだと思います。
その人への思い出とか死の事実とか悲しみとかをそこで共有すると。
死んだらどうなるのかは、体験したこと無い私はもちろん分かりません。
あるいは無限に転生してるのかもしれませんが前世のことは覚えてないので分かりません。
ある人が死んだ後も幸せでいてほしいとか死んだ後は幸せでいてほしいとか
葬式や天国の成立には、そうした生者のエゴっぽいものが含まれているように思います。
うがった見方をすれば、そう思うことで悲劇に酔ってるとも言えますが。
ああ、今日こんなことを書く意味は特にないですよ。
強いて言うなら逃避です。
どうでもいいんですけど、全ての魂が輪廻転生しているんなら、
地球上の生命の数がどんどん増えていくことは
どう説明されるんでしょうか。分裂するのか、魂。
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