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なんかいろいろ。
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一体いつから僕達は歳をとるのが嫌になるんだろうと思うのですが、そもそも、なぜ歳をとるのが嫌なのかという理由には、二種類あると思うのです。
まず一つ目は、単純に「死が近づく」という理由。
とはいえ、よく年寄臭いといわれるのですが一応まだ若者のつもりの僕にとって、老衰はまだまだ実感が湧かないことです。
じゃあ二つ目は何なのかということですが、その前に、逆に歳をとるのが待ち遠しかったころのことを思い出してみたいと思います。
あのころは、一体なんでそんなに早く大人になりたいと思ったんでしょうかね。
なってみるとそんなにいいものでもないのにね。

なぜ大人になりたかったのか――考えてみれば、それは「お金をたくさん使える」とか、「一人暮らし出来る」とか、人によっては「競馬できる」とか「煙草吸える」とか「お洒落できる」とか、要するに、子供よりも大人は圧倒的に「出来ること」が多く、きっとそれが魅力的だったのでしょう。

ところが、歳をとって行ってそれらが出来るようになっていくにつれ、もう「新たに出来るようになること」がなくなっていくように思えます。
例えば僕だと、後はもう被選挙権とか年金の授与とか、それくらいしか残ってないような気がします。
そうすると、なんだか将来ってあんまり面白そうじゃねぇなぁ、むしろ何だか出来ることがどんどん狭まって行ってる気がするなぁ、とか、そういう気持ちが歳をとるってつまんないという感情の源泉なのではないでしょうか。

しかしちょっと考えてほしいのですが、年をとると先が見えるなんて、一体誰が決めたのでしょうか。
いやまあ、本当に先が見えそうなお年寄りの方もいらっしゃいますけども、そういう意味ではなく。
よく、「気持ちは若く」なんて言いますけども、あれは単に、若さに必死にしがみつくオッサンの戯言というわけではなく、まだまだ先のことなんてわからねえぜ、俺はまだまだ成長するぜ、という気概の現われと見るべきです。
例えば、しょっぱい例で恐縮なのですが、僕が自らを振り返ったなら、東方を知ったばかりのころ(2003年秋くらい)の僕が、東方エムブレムなり、今回の老人と門(詳しくは創想話見るよろし)なりを作れたかというと、絶対無理だと思えるわけですよ。
知識量の問題ではなく、センスや力量の問題として。
自画自賛みたいでちょっと嫌なんですけど、僕は数年前に比べれば、いろんな点でかなり成長しているのではないかと(少なくとも自分ではそう)思えるのです。
まあ、逆に色々退化している点もあるような気がしますが――対人関係とか――それはそれとして。

老いには二種類あると、僕は思います。
肉体的な老いのほうは、まあどうしようもないので、健康的な生活でも送ることにしましょう。
しかし精神的な老いのほうは、いくらでも遅れさせられるし、またいくらでも早められるとも思います。
歳をとるのが嫌でしょうがないという方は、自分の限界を勝手に見定めてしまっているのではないでしょうか。
何かこれというものを決めてそれに打ち込み、その中で確かに自分が成長したと感じられると、時間がたつのもそう悪いもんじゃないと思えるようになりますよ。
多分。

なんでこんな話をするかというと、SSの内容と絡んでいるというのもあるんですが、先日誕生日だったからで。
マルコムXさんが暗殺された記念日。
まあそんなにね、年取るのも悪くないです。毎日それなりに楽しいし。
とは言ってもまあ、その誕生日に何してたかって言うと、エロマンガ下敷きにしながら高貴なる女性妖怪がどうたらとかモニタに向かって打ち込んでいたわけで、それを考えるとちょっぴり死にたくなったりもしたけれど僕は元気です。
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