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なんかいろいろ。
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「ゆとり教育」は失敗だったのか? というテーマの公開ディベートを見てきたのですが
行くまでは、議論が盛り上がりそうだったらちょっと参加してもいいかなーくらい
思っていたのですが、参加者がおそらく仲間内オンリーであったらしく
戸を開けた瞬間「こいつ誰?」みたいな視線を一斉に向けられて
うわー帰りてーと激しく思いつつも、席に座っちゃったのに今更帰るのもどうだろうと
結局微妙な気持ちのまま最後までいました。観客席に。発言はしなかった。
でも僕のほかに観客がいなかったらやっぱり帰ってたと思う。
ありがとう見知らぬ女性。友達にはなりたくない感じのオーラでしたが。
具体的に言うと他人の発言にいちいちうなずくのってどうなんだ。
全部君にとってはもっともな意見なのか。君の意見はないのか。

ていうかね、うかつに公開とかしないでほしいんですよ。
身内で和気藹々とやりたいんですけどみたいな雰囲気出すくらいならさあ。
ていうか和気藹々とやるディベートってなんだよ。

で、そのディベートの中身なんですが、案の定というかゆとり教育否定派が優勢。
「失敗だったという結論を出すには早い」という擁護意見も、
「んなこと言ったっておめー学力落ちてんじゃねーか。いいのか。いいのかそれで」
という正直な意見には圧され気味で。

ただまあ個人的な意見なんですが、
学習内容を削減したら絶対的学力が低下するのは当たり前で、
「ゆとり教育を実施したら学力が落ちた!」ってのは
「空模様が怪しくなってきたと思ったら雨が降りだした!」
ってのと同レベルの驚きのように思うのですが、
つまりそれを犠牲にしてでもお子さんに身につけさせたい「何か」はなんなのか、
ゆとり教育でそれは身につくのか、それは学力よりも優先すべきことなのか、
ということを論点にすべきだと思うんですけども、
なんか推進派と否定派の意見がかみ合ってないというか、
お前ら「ディベート」って言葉使いたかっただけなんじゃねーの? という、
おいちょっといいからお前ら俺に司会やらせろ! つー集まりでした。
三十分くらいで終わったし。なんかそのあと飲みに行こうとか言ってるし。
それが目的かよ畜生。

で、以下更に個人的な意見なんですけども、
ゆとり教育が失敗した主な原因は、「生きる力」を
涵養させなければならない環境を構築するのに失敗したからだと思います。
例えば小中学校が授業内容を削って特別活動の時間を作る、それはいいです。
しかし、受験、ひいては就職にどのくらいその生きる力とやらが
影響を及ぼすのかというと、まあせいぜい内申点が少し上がるくらいでしょうか、
じゃあそんなものより勉強したほうがよくね? となるのは無理もないでしょう。

応用力とか問題発見・解決能力とかを伸ばすのは僕も大賛成です。
また、反対する人はあまりいないと思います。
そもそも学習内容の削減はここ二十年以上の流れですし、
今更三割減らしたくらいでガタガタ言うなよという気持ちも僕の中にあります。
ただ、現行の定期テスト・受験システムを根本的に変えない限り、
「そんなものより暗記」という親御さんの切なる願いは増していくばかりと言えるでしょう。
まあよく言う「週休二日でむしろゆとりがなくなった」ってやつですね。

政府は、ゆとり教育は「日本の教育のパラダイムシフト」だ、とか
なんかそんなようなことを言っていたような記憶があります。言葉は適当ですが。
しかし、それを成功させるためには、その周囲の環境も
まとめて全部パラダイムシフトさせなきゃならなかったんじゃないか、と。
テストの点より生きる力が大事だというのなら、
どう大事なのか、なぜ大事なのか、つーことを大々的に
喧伝しなきゃならなかったんじゃないか、と。

いや具体的にどうすんのとかは全然分かりませんがね。
「あなたには生きる力が足りないので大学落とします」とかやだよ俺。
なにそれ、俺が生活無能力者って事!? 凄い落とされそうなんですけど俺!
で、なんか生きる力を養成するためのサークルみたいなのができたりして。
察するにサバイバル体験か政策秘書見習いみたいなのだろ。多分。
やっぱ現状受験があって、学歴である程度将来の選択幅が決まりますし、
受験である以上なんらかの基準で振り分けないといけないわけで、
仮に生きる力の養成が学校に根付いたとしても、
やっぱり生きる力をつけるための塾ができるような気がします。

さっきも言いましたけど、ゆとり教育の理念それ自体は
別段悪いものではないと思うんですよ。ただ色々と急すぎて、
あとそれもあって印象が悪いほうに悪いほうに流れていったのが敗因かなぁと。
そういう意味では失敗だったと思います。ゆとり教育。
学校側も明らかについていけてなかったですもん。
僕の知ってる限り、社会科見学とか学校祭の準備とか
そんなのを総合学習に当ててお茶を濁してるような学校ばかりですよ。
一週間のうち総合学習が十五時間とかすげぇよ。時間割が総の字で埋まってるの。
五年くらいどこかで実験できればよかったんでしょうけれどねぇ。
それで徐々に浸透させていくとか。
それをやると教育の機会均等とか生徒の人権とか色々うるさいんでしょうが。

まあ、実際に教育改革を考えている人たちなんて、
辛く厳しい受験戦争の荒波を見事に乗り越えた人たちなわけで、
それゆえに国家運営という特権にありつけるわけで、
そういうシステムを全部潰そうなんて考えもつかないのかもしれないなぁ、
なんて思ったりするのですが。
少なくとも僕よりは数段優れた頭を持った人たちなんですから、
どうか頑張っていい制度を作って欲しいなぁと思います。
こちとら安くない税金払ってお前らのこと養ってやってんだよ(本音)。
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